nF4

フジワラナオミ everymoment everyday

05/21/2014

I’m gonna answer the questions!!! -質問に答えます-

img_onmywaytoschool

*写真は本文とはあまり関係なくて、毎日往復する通学路です。

東京にいる友人で、時々私の人生の指南役かつ、主に英語の先生でもある人から以下の質問をもらいました。質問が英語だったので、日本語訳つけます。

質問1
Is there any big change in your sense of value after exposing to diversified generations and nationalities after almost 1month in LA?
Or nothing special?

LAで多様な世代や国籍の中で身をおく生活をおくってもうすぐ1ヶ月たとうとしてますが、人生の価値観に大きな変化はあった?それとも全然なし?

質問2
What kind of people/things make you comfortable/uncomfortable there?
どんな人に対して、もしくは物事に対して快適、もしくは快適じゃないと思う?

では質問1からいきます。

たかが1ヶ月で何が分かるのか?ー分かるわけがないだろう(反語)ーみたいなイジワルな横やりはさておき、純粋に1ヶ月の中で感じたものという観点から書いてみます。前提がくどいですけど「たった1ヶ月だけ」でも変わったことが「ある」のか「ない」のか?と聞かれれば、やっぱり「あり」ます。

こちらに来てすぐは特に言葉が流暢でないことをいいことに、間違って当然、分からないところからスタート、というスタンスにならざるを得ませんでした。来る前は英語もそこそこ準備し、TOEICも一応海外赴任が許される点数をクリアしていたのですが「だから何?」と言われんばかりの通じなさです。あるいはもしかして、私のスコアはまぐれだったのかもしれません。とにかく2枚も3枚も殻を破った状態で人と接することのが日常でした。

ただ「通じなくてどーしよう」とか「伝えたいことを上手く伝えられない!」という、焦燥というか苦虫を噛みしめるために(要はそこまでしないと本気で身につけようと思わないから)私はLAまで来たのだし、こうなったら苦虫の苦味をしっかり味わって、自分に足りないものとちゃんと向き合って、どーしたら埋めたり、積めたり前に進められるか?だけ考えて、あとは「もーやるしかない!」というスタンスで過ごすようにしてました。

で、1ヶ月たってみて、ひとまず間違えることに対してかなり恐怖感がなくなりました。まだ完全ではないですが。でも少なくとも1ヶ月前の自分と比較すれば、英語を使うことの敷居は低くなった気がします。例えば、今思うと東京で道を歩いているときに英語で話かけらえたら、きっとカッコイイフレーズ使おうなんていらないことを考えた挙句にドキドキしてしまい、とても基本的なセンテンス(主語+述語+目的語)さえ出てこなかった気がします。

今はというと、ちょうど昨日の話になりますが、アパートへ帰る途中スーパーで買い物をし、帰路を歩いていると、よそ行きの格好をされた奥様から「あなたこの辺詳しい?」と英語で話かけられ、「あー、そうでもないですけど。。。」と返事をすると「軽くワイン飲んだり前菜を食べられる場所探してるんだけど知ってるかしら?」と聞かれ「え?今ですよね?うーん、えーーと、そうだなぁ、たしかあっちの方に(westwood theaterという有名な映画館がある方を指して)そういうお店があった気がするなぁ。」みたいな感じで会話が成立し、「ありがとう!」と笑顔になった奥様は、おそらく隣のご主人とみられる方と一緒に喜び勇んで横断歩道を渡ってゆかれました。

プラス昨日は、spoken communicationの授業で「教育」についてプレゼンがあり、サウジアラビア出身の女性、中国出身の女性と私の3人でそれぞれの国の教育精度の説明を展開。見て良いのはメモ程度のあんちょこだったので、まぁほぼ暗記していったのですが、日本語でも常に何かみながらでないとスピーチなんてできないし、緊張して上手く話せないことのほうが多いのに、我ながらよく英語でスピーチできたなぁと思います。事前に3人で誰がどんな話をするか?を打ち合わせして、スクリプトを作ったり、練習したり、2人とも非常に英語が上手いので、最初ついていけるかなと思っていたのですが、最終的にはとても仲良くなれました。

というわけで、失敗してもいいや的な開き直り精神は急成長した気がしてます。

きっと今は英語でこの局面を迎えている訳ですが、例えば仕事でも、ボクシングでも同じことが言えるんだと思います。本当は最初からしっかりときれいな英語を話せたり、仕事をこなせたり、タフなスタミナときれいなフォームでパンチをうてればいいのですが、そんなことって当然最初からなんてできません。たくさん失敗して、恥ずかしい思いをして、次は絶対恥をかきたくない!と決意して復習したり準備したり、自分を追い込んだりして、少しずつ自分のものにしていくしかないですもんね。

理屈ではわかっていても、カラダや心で理解できる経験はやっぱり貴重です。できないことを味わうのは、歳をとるにつれて、できるだけ避けるようになっていくと思うんですが、個人的に避けるにはまだ早い気がしています。そういう意味ではできないことに対してダウナーになるより「今気がつけてよかった」と思えるようになったのは貴重です。どんだけボジなんだろう?と思われそうですけど、ポジというよりは事実で、一生そのまま気が付かないで過ごすことを考えると、やっぱり「今気がついてよかった」と思うのです。

質問2の回答ですが、予想外に1の回答が長くなってしまったので次回にします。

Pocket

Back to
Top